人には、物事の受け取り方にスタイルの違いがあると思う。
たとえば──
ある現象をざっくり理解して「そんなもんか」と流す人もいれば、
細かいところに引っかかって、「これって、なんで?」と立ち止まってしまう人もいる。
私はどちらかといえば、後者のタイプだった。
一見どうでもよさそうな細部に、つい反応してしまう。
その“引っかかり”が、私にとっては発見であり、面白さの入り口でもあった。
🍞たとえば、スーパーでレジを打っていたときの話
ある時期、スーパーでアルバイトをしていたことがある。
レジ操作も、品出しも、値引きシールの処理も、初めての経験だった。
最初に渡された紙1枚の基本マニュアルには、ごく基本的な操作だけが書かれていて、
「こうやってレジを打ってください」と、ひとつのやり方が示されていた。
でも実際に現場に出てみると──
同じ作業でも、人によってやり方が違っていた。
たとえば「同じ商品を3つスキャンする」だけの操作にも、
少なくとも3つ、多分4つくらいのやり方があったように思う。
その「複数ルートが存在している」という構造が、私にはすごく面白くて、
思わず図を書いて整理したり、新人の学生さんに「こういう分岐もあるよ」と説明したこともある。
でも、そういう細かい話には、あまり反応が返ってこなかった。
「あれ? ここ、面白くないの?」
って、ちょっとびっくりした記憶がある。
📚私は、業務の「裏側のしくみ」に惹かれていた
レジ操作や値引き処理、在庫管理の端末操作──
どれも、目に見えない設計思想があって動いている。
私はそこに「見えない地図」を探すような感覚で関わっていた。
だから当時は、スーパーや小売業に関するビジネス書や小説を読んだり、
業界専門の新聞(※一般向けではない業界誌)に目を通したりしていた。
ずっと好きだった映画は『スーパーの女』。
時代に取り残されたようなスーパー「正直屋」を立て直すために奮闘する主婦の話で、
現場のリアルと構造的な視点が交錯する、ちょっと風変わりな作品だ。
自分が関わっている仕事の「背景」や「しくみ」をもっと知りたいと思っていた。
でもそういう話をしても、多くの人は特に興味を持たなかった。
それもまた、私にとってはひとつの驚きだった。
🧭“引っかかること”は、面倒だけど面白い
ちょっとした違和感に立ち止まってしまう自分を、
「面倒くさいな」と思うこともある。
でも、それがあるからこそ気づけることもある。
マニュアル通りにやっていれば何も起こらなかったところに、
「実は他にもルートがあった」ということを知る驚き。
それが、私の中ではちょっとした宝探しだった。
そしてそれは、レジだけに限った話じゃない。
スーパーという空間全体に、いろんな“小さな宝物”が隠されていた。
POPの位置やデザイン、商品の並べ方、値引きのタイミング、接客の言葉やお客さんへの伝え方、陳列棚の光の当たり方──
誰も気にしないかもしれないような場所に、私はふと立ち止まって、
「あっ」と気づいて、またひとつ、宝物を見つけたような気がしていた。
誰も気づかないところにこそ、世界の仕組みのかけらが落ちている。
そう思うたびに、私はわくわくしていた。
──そういう目を持っていた私は、ある種の変人だった。だけど、それが私だった。