私は、いつも少し浮いている。
宙に浮くというより、
重力がかかるべきところに、かかっていない感じがする。 ●
職場でも、病院でも、
本来なら「役割」で区切られているはずの場所で、
なぜか人は、私に個人的なことを話し始める。 △
店長は、
「自分は管理職に向いていないのかもしれない」
というようなことを、ぽつりと漏らした。 ◯
お正月には、
「妻の実家に行かないといけないんですよ。しょうがないですね…」
と、誰に言うでもない話を私にした。 ・
私は相槌を打っただけで、
慰めたわけでも、踏み込んだわけでもない。
ただ、そこにいただけだ。 □
歯医者でも同じだった。
雑談をしないはずの若い歯科医が、
治療の合間に突然、本の話を振ってきた。 △
「その作家、何ていう人ですか?」
二度聞き返されて、
少し不思議に思ったけれど、
それ以上のことは起きなかった。 ◯
それでも、
役割の壁が一瞬だけ、ふっと消える。
そういう瞬間が、私の周りではよく起こる。 ・
相手が被っている重たい兜を、
私が脱がせるのではない。
私が何も被っていないから、
相手もそれを置く場所を見つけてしまうのだ。 ○
スーパーで働いていた頃、
私はレジ係だった。 □
レジ係はレジを離れない。
それが暗黙のルールだった。 △
けれど、
カゴが高く積み上がっていくのを見ると、
危ない、と感じてしまう。 ●
誰かが片付けるべきだ。
そう思って運ぼうとして、事故が起きた。 ・
あとになってわかった。
それは私個人の判断ミスであると同時に、
オペレーションの設計ミスだった。 ◯
けれどその場では、
責任は私に集まった。 □
「この人は反省していない」
そんな空気が流れ、
店長は、話の途中で、私の態度に耐えきれずに席を立ち、
私は副店長と二人、広い部屋に残された。 △
何を謝ればいいのか、わからなかった。 ・
事故は起きた。
原因も見えていた。
でも、次にどう変えるかは、
私の立場では決められない。 ○
そのことを、
言葉にしなかった。
言えなかった。 ●
ただ、
自分のせいだけではない
という感覚だけが、静かに残った。 ◯
時間が経って、ようやくわかった。 ・
私は、
組織の中で「浮いていた」のではない。
重力のかかり方が、他の人と違っていた。 □
役職
上下関係
専門性
雇用形態 △
そういった「重さ」を、
私は無意識に外して人を見る。 ○
だから、
相手も無意識に、鎧を外す。 ・
弱さを見せ、
愚痴をこぼし、
本音を落とす。 ◯
それは親密さではない。
共犯でもない。
ただの、無重力状態。 ●
無重力は、
組織では扱いにくい。 □
配置が定まらない。
管理しづらい。
役割に収まらない。 △
だから私は、
レジから外れ、
品出しを経て、
店長直属という、
無理やり作り出された
奇妙な位置に置かれた。 ○
結局、
誰もその扱い方を知らなかった。 ・
それでも今は、
この特性を悪いものだとは思っていない。 ◯
人を人として見ること。
肩書きの前に、呼吸を感じてしまうこと。 □
それは、
どこにも属さない代わりに、
どこからでも全体が見える、
無重力の視点なのかもしれない。 △
私は浮いている。 ○
でも、迷子ではない。 ・
ただ、
普通の重力では生きられないだけだ。 ◯
それだけのことだった。 ●