今日、スーパーのセルフレジで耳に入ってきた、ある子どもの声。
「ぼくも!ぼくも!ぼくも!」
何度も、何度も、胸の奥から湧き上がるように言っていた。
小さな体にあふれる思いが、そのまま声になっていた。
レジの前には、小さな子どもと、そのお母さん。お母さんがカゴの中から野菜やお肉やお魚を取り出して、ピッとスキャンしている。その様子を、子どもは真剣に見ている。
でも、手は届かない。
カゴの中に手を伸ばしても、ちっちゃな身体ではうまく取れないし、スキャンする場所にも届かない。だから、**「ぼくも!」**と言い続ける。
──大きくなったらやろうね。
──お兄ちゃんになってからね。
そう言われても、納得はしていない。まだ手を伸ばし続ける。届かないとわかっていても、何かを掴もうとしている。
🥄 ふと思い出した、あのスプーンのこと
それを見ていて、ふと思い出した出来事がある。
前に、ある知り合いが小さな子どもを連れて家に来たときのこと。2歳半くらいの子だった。食事中に、その子のお父さんが引き出しからスプーンを取り出して、子どものテーブルの上に置いた。
すると──
「あーっ!」
子どもが、ちょっと顔をゆがめて、嫌がるそぶりを見せた。言葉にはしないけど、強い意思がにじんでいた。「いやいや」「ちがうちがう」という、何かが違うという反応。
それを見てお父さんも気づいたようで、
「あー、そっか、ごめんごめん」
とスプーンを引き出しに戻した。
するとその子は、すっ…と立ち上がって、
自分で引き出しを開けて、スプーンを取り出し、
にこっとして席に戻ってきた。
そう、「自分でやりたかった」んだ。
🌱 届かなくても、自分でやってみたい
今日スーパーで見た子も、きっと同じ。
大人にやってもらうことじゃなくて、**「自分でやりたい」**という気持ちが、体の奥からこみ上げていたんだと思う。
届かない手。
できない現実。
それでも、どうしてもやってみたいという気持ちが止まらない。
それは、ただの“わがまま”じゃない。
その子にとっては、世界を知るための、大切な一歩。
✨ いつか、受け止める側になる日がくる
「ぼくも!」と叫んでいたその手は、
やがて伸びて、届くようになる。
スキャンも、スプーンも、自分でできるようになる。
そしていつか──
今度は、自分が「ぼくも!」を受け止める立場になるかもしれない。
小さな誰かの手が、自分に向かって伸びてくる日が、きっとくる。
人は、そうしてめぐっていく。
その循環の中に、あの「ぼくも!」がちゃんと刻まれている。
だからこそ、今は届かないその手を、どこかで誰かが見守っていてほしい。
小さなその声が、
やがて未来の誰かを育てていくのかもしれないから。