忍者通訳の記録帖

気配の通訳・翻訳所。空気、沈黙、すれ違い、視点の跳躍──そしてたまに、自分自身。精度はいつも道の途中。  

#504🛒「ぼくも!ぼくも!」──届かない手と、自分でやりたい気持ち

今日、スーパーのセルフレジで耳に入ってきた、ある子どもの声。

「ぼくも!ぼくも!ぼくも!」

何度も、何度も、胸の奥から湧き上がるように言っていた。

小さな体にあふれる思いが、そのまま声になっていた。 

レジの前には、小さな子どもと、そのお母さん。お母さんがカゴの中から野菜やお肉やお魚を取り出して、ピッとスキャンしている。その様子を、子どもは真剣に見ている。

でも、手は届かない。

カゴの中に手を伸ばしても、ちっちゃな身体ではうまく取れないし、スキャンする場所にも届かない。だから、**「ぼくも!」**と言い続ける。

──大きくなったらやろうね。
──お兄ちゃんになってからね。

そう言われても、納得はしていない。まだ手を伸ばし続ける。届かないとわかっていても、何かを掴もうとしている。

🥄 ふと思い出した、あのスプーンのこと

それを見ていて、ふと思い出した出来事がある。

前に、ある知り合いが小さな子どもを連れて家に来たときのこと。2歳半くらいの子だった。食事中に、その子のお父さんが引き出しからスプーンを取り出して、子どものテーブルの上に置いた。

すると──

「あーっ!」

子どもが、ちょっと顔をゆがめて、嫌がるそぶりを見せた。言葉にはしないけど、強い意思がにじんでいた。「いやいや」「ちがうちがう」という、何かが違うという反応。

それを見てお父さんも気づいたようで、
「あー、そっか、ごめんごめん」
とスプーンを引き出しに戻した。

するとその子は、すっ…と立ち上がって、
自分で引き出しを開けて、スプーンを取り出し、
にこっとして席に戻ってきた。

そう、「自分でやりたかった」んだ。

🌱 届かなくても、自分でやってみたい

今日スーパーで見た子も、きっと同じ。

大人にやってもらうことじゃなくて、**「自分でやりたい」**という気持ちが、体の奥からこみ上げていたんだと思う。

届かない手。
できない現実。
それでも、どうしてもやってみたいという気持ちが止まらない。

それは、ただの“わがまま”じゃない。
その子にとっては、世界を知るための、大切な一歩。

✨ いつか、受け止める側になる日がくる

「ぼくも!」と叫んでいたその手は、
やがて伸びて、届くようになる。
スキャンも、スプーンも、自分でできるようになる。

そしていつか──
今度は、自分が「ぼくも!」を受け止める立場になるかもしれない。
小さな誰かの手が、自分に向かって伸びてくる日が、きっとくる。

人は、そうしてめぐっていく。

その循環の中に、あの「ぼくも!」がちゃんと刻まれている。
だからこそ、今は届かないその手を、どこかで誰かが見守っていてほしい。

小さなその声が、
やがて未来の誰かを育てていくのかもしれないから。