レアアースのニュースに、ふと目が止まった。中国への依存を減らすため、日本は南鳥島の沖合で、深海探査機を使って、資源開発を進めるという。“深海”という言葉の響きが、静かに胸に残った。
南鳥島って、どこだっただろう。地図をひらいてみると、そこは東京からおよそ1900キロ。太平洋のまんなか。人の住まない、小さな無人島。けれど、しっかり「東京都」と書かれていた。
そのとき、不思議なほど自然に、小笠原の記憶がよみがえった。昔、フェリーで24時間かけてたどり着いたあの島。小笠原諸島は東京から約1000キロ。父島にしばらくの間、滞在して、白い砂浜と、やわらかな風に包まれて過ごした。
ある日、海で泳いでいたときのこと。浅瀬の先に、何かが沈んでいるのが見えた。近づくと、それは茶色く錆びた、金属の塊。横に2メートルほどの大きさで、海面から1メートルくらい上に、突き出ている。大きなプロペラのような形をしていて、触るとざらりとした感触があった。風化しているけれど、崩れるわけではない。しっかりと重みを持って、そこにあった。
その上にそっと座ってみたら、サビがすこし肌に移った。茶色い粉のようなものが指先に残った。そして、なんとなく怖くなった。戦争の跡なのかもしれない、と思ったら、余計に。
何十年も、海の中でひっそりとそこにいて、誰に見つけられるわけでもなく、ただ潮の音にまかせていたのかもしれない。それでも、私は偶然そこに出会って、その一瞬だけ、同じ時間のなかにいた。
深海に眠るもの。誰かの記憶からも、地図からも、こぼれ落ちてしまったようなもの。
けれど、そうしたものが、いまになって「未来の資源」として再び注目される。島の名前をニュースで目にしただけで、あの時の感触や、水の匂いや、茶色い粉のざらっとした感じまで思い出すのだから──記憶というのは、静かで、深くて、そして、とても不思議なものだと思う。