忍者通訳の記録帖

気配の通訳・翻訳所。空気、沈黙、すれ違い──そしてたまに、自分自身。

#317 しっとりしたのは、肌だけじゃなかった──医療保険に支えられている私の話

 

毎月、皮膚科に通っている。乾燥肌で、季節を問わずかゆみや荒れが出やすい。処方されるのは、漢方薬が2種類、かゆみ止めの飲み薬、それにハンドクリームとローション、顔の塗り薬。月に4000〜5000円ほど支払っている。

制度の中では、飲み薬が「主」で、外用薬は「補助的」な扱いなのかもしれない。でも、自分にとってはむしろ逆だ。飲み薬は、飲んでいるという感覚こそあるけれど、効いているのかどうかはよく分からない。たぶんじわじわ効いてるんだろうな……とは思う。でも、それを“実感”として捉えるのは難しい。

それに比べて、ローションやクリームは明確だ。塗った瞬間、肌が落ち着く。ガサガサしていた手がすっと和らいでいく感じがする。頬も、粉を吹いたような表面がなめらかになる。ああ、ちゃんと効いてるなって、体が分かる。

だから自分の中では、これらの薬が“主役”になっている。

市販薬でも似たような成分のものは手に入る。「ヘパリン類似物質ローション0.3% 日医工 50g」などと表示された製品がそれだ。だが値段を見ると、1本1000〜1500円することもある。皮膚科で出してもらうと、自己負担は300円前後だ。

それは、医療保険があるからだ。あまり意識してこなかったけれど、あらためて思う。ありがたいことだなと。

思い返せば、以前は乾燥対策に市販の保湿剤をあれこれ買っていた。1ヶ月に何本も買って、合計で1万円を超えることもあった。今は、必要な薬を必要な量で処方してもらい、適正な価格で手に入れられる。それがどれほど安心感につながっているか、最近になってようやく気づいた。

そんなある日、親戚との会話の中で、こんな言葉を耳にした。

「皮膚科でもらったローションね、うちの子に分けてあげてるんだ。すごく気に入ってて」

気持ちは分かる。自分にとって良いと思ったものを、家族にも使わせたいというのは自然な感情だろう。しかも相手は子ども。保湿剤なんて誰でも使えるし、ローションならそんなに重く考えないのも無理はない。

けれど、その子が医師の診察を受けていなかったとしたら──その薬が本当に合っているのかは分からない。見た目には分からないけれど、肌にも体にも個体差がある。副作用だってゼロじゃない。薬はあくまで「処方されるもの」なのだ。

その場でそれを指摘することはしなかった。関係性もあるし、余計な心配かもしれない。でも、心のどこかに小さな違和感が残った。「これでいいのかな」と。

制度の外側に、ちょっと足がはみ出している感じ。悪気があるわけじゃない。だからこそ、見えづらい。でも、制度って、そういう“ちょっとしたズレ”が積み重なると、だんだん歪んでいくものなんだろう。

最近では、「湿布や風邪薬などは、保険から外すべきでは?」という議論も出ている。高齢者が1割負担で薬を多く受け取り、自宅にストックしてしまうことが、医療財政を圧迫する──そんな懸念もあるらしい。

誰かを責めたいわけじゃない。ただ、制度のありがたさを実感するようになってから、「どう使うか」を考えるようにもなった。

肌がしっとりしたのは、薬のおかげだ。でもそれだけじゃない。制度があり、医師がいて、仕組みがまわっている。だから私は、当たり前のようにそのしっとり感を得られている。

そう思うと、感謝すべきは、ローションそのものよりも──その背景にある“静かな支え”なのかもしれない。