私が見る職人というのは、やっぱりまず「無口である」ということ。
話が短い。文章が短い。論理的に話すというよりも、接続詞を使わない。 「とはいえ」とか「したがって」なんて言葉、彼らの口から聞いたことがない。
対極にいるのが、銀行員とか証券マンとか、金融関係の人たち。 職人の人たちは、そういう“言葉の技巧”ではなく、現場の言葉を話す。
でもそれは、聞いてもなかなか理解できないことがある。 むしろ分からないからこそ、かっこいいとも思ってしまう。
調べてみたら、こういう職人系の人たちは日本の人工の中でも、たった2.6%〜3%くらいなんだって。
それでも不思議と、彼らは「身近」にいる。 うちの目の前でも今、4階建てのマンションを建てている。 朝から夕方まで、コンクリートのミキサー車が回っていて、 職人さんたちの笑い声や短いやりとりが、風に乗って聞こえてくる。
近所でも、どこかの家が足場を組んで塗装していたり、 うちでもついこの間、塗装工事をやった。
そのとき接した職人さんたちもやっぱり、言葉が短かった。 でもその短い言葉の奥に、経験と技術の厚みが見える気がして、 だからこそ、何気ない一言に聞き入ってしまう。
そういう人たちは、これから少しずつ、ロボットに置き換えられていくのかもしれない。
足場を組むのも、高所作業をするのも、危険を伴う仕事。 いつか、それはAIや機械がやるようになるかもしれない。
今もすでに、現場では重機が入っている。 その重機を操縦する職人の周りを、人が豆粒のように歩いていて、見ていて少し怖くなることもある。
こうやって生身の体で現場にいる職人は、もしかしたら 数十年後には「貴重な存在」になってしまうのかもしれない。
私が子どもの頃、農村地帯に住んでいて、見渡す限りの水田が広がっていた。 でもそこにはもう、人はほとんどいなかった。 代わりに、機械に乗ったおじさんがひとりだけ、遠くに見えた。
田植えをしている人を見たことがない。稲刈りも。 それはつまり、農業が機械化された風景だった。
建設現場も、きっと同じように変わっていくのだろう。
そしてそのとき、いま私たちの隣にいる職人たちは、 もしかしたらもう、どこにもいないのかもしれない。