忍者通訳の記録帖

気配の通訳・翻訳所。空気、沈黙、すれ違い、視点の跳躍──そしてたまに、自分自身。精度はいつも道の途中。  

🧱#202 絶滅危惧種のような職人たち──私たちのすぐ隣にいるのに、気づけば遠ざかる存在

 

私が見る職人というのは、やっぱりまず「無口である」ということ。

話が短い。文章が短い。論理的に話すというよりも、接続詞を使わない。 「とはいえ」とか「したがって」なんて言葉、彼らの口から聞いたことがない。

対極にいるのが、銀行員とか証券マンとか、金融関係の人たち。 職人の人たちは、そういう“言葉の技巧”ではなく、現場の言葉を話す。

でもそれは、聞いてもなかなか理解できないことがある。 むしろ分からないからこそ、かっこいいとも思ってしまう。

調べてみたら、こういう職人系の人たちは日本の人工の中でも、たった2.6%〜3%くらいなんだって。

それでも不思議と、彼らは「身近」にいる。 うちの目の前でも今、4階建てのマンションを建てている。 朝から夕方まで、コンクリートミキサー車が回っていて、 職人さんたちの笑い声や短いやりとりが、風に乗って聞こえてくる。

近所でも、どこかの家が足場を組んで塗装していたり、 うちでもついこの間、塗装工事をやった。

そのとき接した職人さんたちもやっぱり、言葉が短かった。 でもその短い言葉の奥に、経験と技術の厚みが見える気がして、 だからこそ、何気ない一言に聞き入ってしまう。

そういう人たちは、これから少しずつ、ロボットに置き換えられていくのかもしれない。

足場を組むのも、高所作業をするのも、危険を伴う仕事。 いつか、それはAIや機械がやるようになるかもしれない。

今もすでに、現場では重機が入っている。 その重機を操縦する職人の周りを、人が豆粒のように歩いていて、見ていて少し怖くなることもある。

こうやって生身の体で現場にいる職人は、もしかしたら 数十年後には「貴重な存在」になってしまうのかもしれない。

私が子どもの頃、農村地帯に住んでいて、見渡す限りの水田が広がっていた。 でもそこにはもう、人はほとんどいなかった。 代わりに、機械に乗ったおじさんがひとりだけ、遠くに見えた。

田植えをしている人を見たことがない。稲刈りも。 それはつまり、農業が機械化された風景だった。

建設現場も、きっと同じように変わっていくのだろう。

そしてそのとき、いま私たちの隣にいる職人たちは、 もしかしたらもう、どこにもいないのかもしれない。