ある職場で出会った、20代の女性がいた。すらりとした体型、スッキリとした美人系の顔立ち。声も落ち着いていて、どこか知的で冷静な印象を受けるタイプだった。
ぱっと見、「ディズニーが大好き!」と無邪気にはしゃぐような雰囲気は、あまりない。だけどある日、その人がディズニーランドに行ってきたらしく、職場でお菓子を配っていた。
私はたまたま休憩室にいて、小さな銀色の袋を手渡された。ピカピカした特別仕様のパッケージ。よく見ると、ディズニーキャラクターが描かれている。中身はただのおかきだけれど、その放送は「これはそこらへんじゃ買えません」と言わんばかりの、ちょっとしたゴージャス感があった。
「よかったらどうぞ〜」そう言ってにこっと笑い、他の人にも同じように配っている。ほんの数秒のやり取りだったけれど、私はその瞬間に「ん?」と心が引っかかった。
この人、本当にディズニー好きなんだろうか? というより、心から行きたかったのだろうか?
というのも、彼女の普段の振る舞いや話し方からは、ディズニー的な“幼さ”や“キラキラ好き”の気配は、あまり感じなかったからだ。どちらかというと、もう少し大人っぽい趣味を持っていそうな、そんな佇まいだった。
でもその日、彼女は確かに、みんなの前で「ディズニー行ってきました!」というモードを演じていた。そして、それを自然に受け入れる職場の雰囲気もあった。
たぶん、彼女は本当に行きたかったわけではなかった。だけど、周囲にディズニー好きの若い女性が多い職場だった。自然とその会話の輪に入っていくためには、「自分もディズニーに行く側」の人間になる必要があった。
そこには、「嫌われたくない」とか「よく思われたい」というよりも、もっと静かで切実な動機があったのではないかと思う。それはつまり── 「私はこの場にいてもいいんだ」と感じたかったのではないか、ということ。
人は居場所を確保するとき、必ずしも大きな野望や野心があるわけではない。ただ「自分が浮かないようにする」。 「ちょっとだけ好かれるように振る舞う」。 「好きでも嫌いでもないけど、嫌いじゃないものを“好き”と装う」。
そんな、小さな戦略の積み重ねによって、安心を得ようとする。それは計算とも呼べるし、本能的な“環境適応”とも言える。
私はこの彼女のふるまいに、“あざとさ”よりもむしろ適応力や空気読みの知性を感じた。そして、彼女の内面にはきっと、SF的な繊細さや気配り、そして自己承認への静かな渇望があるのではないかと、MBTIのフレームで少し考えてみた。
SFタイプ(感覚+感情)は、目に見える状況や他人の感情に敏感だ。その場の空気や相手の気持ちに寄り添いながら、自分の振る舞いを調整していく。ただしそれは、必ずしも“本心からそうしたい”という願望とは限らない。
ときに「周りがそうしているから」 ときに「浮かないように」 そしてときに、「安心できる場所が欲しいから」
そうやって少しずつ自分を演じることで、自分の居場所を守っている。
彼女の笑顔には、ほんの少しだけ張りつめたものがあったような気がする。もちろん私の主観でしかないし、彼女が本当に何を思っていたのかはわからない。でもそのお菓子を受け取った時の、「ひょっとしたら、この人のことちょっとわかったかもしれない」と感じたあの一瞬が、今でも心に残っている。