忍者通訳の記録帖

気配の通訳・翻訳所。空気、沈黙、すれ違い──そしてたまに、自分自身。

#230🪞想像力の欠如が、営業の現場を支配している?

ある日、通信サービスに関する営業電話を受けた。
普段は出ない固定電話に、たまたま出たのがきっかけだった。

一見すると丁寧な案内だったが、話の内容には違和感があった。私の名前は知らないと言いながら、現在の契約サービス名をはっきり口にし、子会社である自社の通信サービスへの乗り換えを促す口調もどこかテンプレート的だった。

詳細を確認しようと質問を重ねると、相手の若い女性は突然「私は◯◯社の営業です」と、突き放すような断定口調に変わった。それ以上の説明を拒むような態度と、「自分の担当範囲しか知りません」という空気が、かえって不信感を呼んだ。

念のため、契約元の“親会社”に問い合わせたところ、「まったく関係がない」と明確に否定された。

この体験を通じて、ふと考えさせられた。
この営業電話をかけてきた人は、「相手の生活にどんな影響が出るか」を考えたことがあるのだろうか。

契約を切り替えるには、実際にはそれなりの費用や手続きの手間がかかる。
しかしそうした説明は一切なく、ただ「今より月々お得になりますよ」とだけ繰り返された。

🧠 SF型の「共感力」は、営業の現場でどう機能しているのか?

MBTIという性格分析の枠組みで「SF型(感覚・感情型)」と呼ばれる人たちは、一般的に共感力が高く、人に寄り添う傾向があるとされている。

私の知り合いにもそういうタイプの人がいるが、時に「誰かが言っていたこと」や「ネットの情報」を、そのまま自分の言葉のように繰り返すことがある。善意であっても、思考が外部からの言葉に乗っ取られてしまうように見える瞬間だ。

今回の営業電話の担当者も、どこか似たような雰囲気があった。
誰かに言われた通りに話し、マニュアルに従って動いているが、言葉が“自分の理解を伴っていない”ように感じられた。
相手の事情や影響を想像する余白がないように思えた。

もしかすると、そうした“想像力の働かない設計”が、営業の現場には組み込まれているのかもしれない。
そして、相手の痛みに気づきやすいはずの人たちが、「構造の中でそれを見ないように訓練されている」のだとしたら──。

🔍 おわりに:構造が感情をすり減らすとき

共感力や想像力を持つ人が、仕事の中でそれを封じてしまうとき、何が起きるのか。
相手を思いやるはずの感性が、「効率」と「業績」によって麻痺していく構造。そこには、誰もが加害にも被害にもなり得る不安定な現実がある。

そんな仮説も、成り立つのではないだろうか。

「この人たちは悪い人じゃない。でも、何も見ようとしないように設計されている」
「だから、“やさしさ”や“良心”が入り込む余地のない仕組みの中で動いている」

この体験は、単なる「営業電話に騙されかけた話」ではない。
誰が、どこで、どうやって「他者に無関心になっていくか」という仕組みを考えるきっかけとして、私はここに書き残しておきたい。