忍者通訳の記録帖

気配の通訳・翻訳所。空気、沈黙、すれ違い──そしてたまに、自分自身。

#175 ✨ 万華鏡のように見る

 

子どものころ、父が万華鏡を買ってくれた。

赤い千代紙のような布に包まれた、小さな筒。中を覗くと、世界がくるくると回った。
同じ小さな破片、同じ色と形が、少し角度を変えるだけで、まったく違う模様をつくり出す。
それが、どうしても不思議だった。

どうして同じものが、こんなに違って見えるんだろうって。

でも今になって思う。
私たちが物事を見るときも、きっとあれと同じなんだ。

ひとつの出来事、ひとつの思い出。
それを語ろうとするとき、どこに光を当てるかで、まったく違うかたちが立ち上がる。

さっき書いた鉄棒の話だってそうだ。

あの銀色の棒は、庭に立っていた。
でも、それはただの鉄棒ではない。

たとえば、「なぜそこにあったのか」という角度から見れば、
誰かの気づきや手間、私の知らない苦労の物語が浮かんでくるかもしれない。

「一緒にいた子どもたち」という面から見れば、
あの頃のにぎやかな声や笑いが広がっていく。

でも今回は、「ぽつんとそこにあった」という静かな記憶のほうに、私は光を当てた。

万華鏡と同じで、どの模様が“本物”ということではない。
どれも確かに“あった”し、どれも私のなかに“残っている”。

そして、人生もまたそうなのかもしれない。

ある記憶を思い出すたび、
そのたびごとに、少し違う模様が見えてくる。

時間が経ち、経験を重ねることで、
見えてくる光、色、形が変わっていく。

昔読んだ本が、今読むとまったく違う意味を持つように。
過去の出来事が、別の人の話のように感じられるように。

だから私は、何かを考えるとき、
何かを書こうとするとき、
いつもそっと万華鏡を回すような気持ちでいたい。

そのときの自分の角度で、今いちばん見えている模様を、
静かに、すくい取るように。

きっとそれが、その瞬間にしか見えない、
一度きりの、美しいかたちだから。